【対談】身体から始める介護のイノベーション

【対談】身体から始める介護のイノベーション

2011.8.08 update.

「3K」といわれて久しい介護現場。不況で仕事を求める人が増加傾向にあるなかでも、介護現場の実情はいまだ人手不足だ。現在、在宅で障害者介護に携わる中川貴恵さんは、芸能人のマネージャーから介護職という、異色の経歴の持ち主。「古武術介護」で介護現場に一石を投じた岡田慎一郎さんとともに現場の問題に語るうち、介護の未来を開く道筋が見えてきた。

 

介護の仕事は芸能人のマネージャーに似ている

 

岡田 中川さんは、さまざまな仕事に就かれた後、いまは重度身体障害者の方の在宅介護をされています。介護労働力は今後10年間で40~60万人足りないと言われているくらいですので、当然、新卒組だけではとても労働力をまかなえないような、人手不足の業界です。そういう点で、中川さんのように、他の業界から転職されてくる人が増えていくことは非常に大事だと思っています。

 

特に中川さんは、誰もが知るような有名芸能人のマネージャー業という、大変華やかな世界から介護業界にいらっしゃったわけですが、いますごくいきいきと介護を楽しまれているということを聞き、ぜひともお話をうかがってみたいと思った次第です。

 

中川 介護の仕事を始めて思うことは「芸能人のマネージャーと、障害者の方の介護」って、仕事としてすごく似ているということなんです。この前も、以前マネージャーをさせていただいていたタレントの清水ミチコさんとお話したんですが、「いまの仕事、ミッちゃんのマネージャーの時とほとんど一緒なんですよ」と言ったら、「なるほど、私は介護されていたのか!」と納得されていました(笑)。

 

芸能人も、障害者も、社会の中では少数派なんですよね。私がいま働いているところは重度障害専門なので、車椅子はもちろん、酸素吸入などをしながら町に出るので、周囲からも特別な目で見られるし、本人もそのことを意識しています。特に、生まれた時から障害を持つ人は、注目されることに慣れていますから、すごく芸能人のメンタリティと通じる面があると感るんです。

 

ただ、そもそも「介護」の中心には、他の多くの仕事と共通するものがある、とも思うんですよね。私は芸能人のマネージャーの前に、懐石料理のお店で仲居をやっていたことがあるんですが、それも思えば「お客さんの介護」だった面があります。

 

介護、芸能界、仲居。業界が違うので表面的にはすごく違って見えるんですが、やっていることは同じです。スケジュール管理、相手が言っていることの真意を判断して動く。あるいは、外部から入ってくる情報から、何を伝えて、何を伝えないのかを判断する。例えば板前さんが言っていることを仲居がそのままお客さんに伝えたら、みんな帰っちゃいますからね(笑)。

 

それぞれの立場の人の間に立って、さまざまな情報を表現を変え、通訳して、伝える。それは芸能人のマネージャーでも、介護でも、同じように重要な仕事だと思うんです。

 

岡田 介護の仕事には「通訳者」としての側面があるということですね。

 

中川 そうですね。起こしてあげたり、動作を介助してあげるといった一般的なイメージというのは、介護という仕事の表面にある、ほんの一部であるような気がします。

ただ、いまの訪問介護をやる前はデイサービスを1年弱やっていたんですが、そこでは流れ作業的に、できるだけ手際よく身体介助するということに重点が置かれていました。それに対していまやっている訪問介護は基本的に1対1なので、身体的なことよりも、いまお話したような「その人が得られない情報を伝える」といった、通訳者的な役割が介護スタッフに求められています。

 

標準化が求められる施設介護

 

岡田 中川さんは、デイサービスのときはなかなか仕事を楽しめなかったということを以前おっしゃっていましたね。それは今おっしゃられた「流れ作業的」な部分が合わなかったのでしょうか。

 

中川 もう少し正確に言えば、「横並びで全員が同じやり方をやらないといけない」ことが合わなかったんですね。デイサービスでは、自分なりに仕事をアレンジすると怒られるのが辛かった。私、あんなに怒られたのは人生で初めてですから(笑)。

 

岡田 施設介護の標準化圧力ってすごいですからね。僕が初めて勤めたのは新設の施設だったのでまだよかったんですが、それでも、「先輩の言うとおりにやらないといけない」というプレッシャーは強かったです。

 

中川 私の勤めていたデイサイービスって、小さな一軒屋を借りた、最大10人ぐらいの方を相手にするようなところだったんですよ。だから、いわゆる施設介護とは違う、一対一対応みたいな雰囲気かなと思ってたんですが、実際にはすごく標準化されていました。排泄介助のときはカーテンを閉めて1対1でできるから自分流でできましたが(笑)、みんなが見ているところで自分流でやると、あとで叱られるんです。

 

岡田さんが教えてくれる介護技術とか、ちょっとしたテクニックや工夫って、現場で試してみたいじゃないですか。自分なりに安全も確保して試しているつもりなんですけど、怒られる。

 

というよりも、そもそも介助しているときに、先輩の目をすごく気にしている自分がいました。「この人が見ているからこうやろう」「あの人が見ているからこうやろう」と演じているんです。

 

岡田 ケアする相手ではなく、同僚の監視するような視線のほうに、意識が向いてしまうということですね。

 

理学療法士の学生って、就職先として介護現場よりも病院を好む傾向があるんです。なぜかというと、病院ではたくさんのリハビリ職員が働いているので、先輩からいろいろと教わることができるから。介護施設だと理学療法士にとってはひとり職場、ふたり職場という場合が多いため、教わる機会を持ちにくいので、自分で考えてやるしかない。

 

でも、僕はそういう希望の人が多いということが、いまいち理解できなかったんですよね(笑)。「なんで先輩の顔色うかがいながら仕事するほうがいいのかな」って思ってました。1人で何でもできる職場のほうが自分は好きだと思っていたのですが、確かにそういう感覚には個人差がありますよね。ちなみに私は、リハビリの学校を卒業して後は、どこにも就職せずにフリーの道を選び、現在に至っています。

 

中川 「自由にやる」ということが向かない人もいますから、向き不向きはあるんでしょうね。いまの勤め先でも、最近一人辞めたんですが、その人は以前施設介護をやっていた人で「訪問介護に自分は向いていない」といって辞めました。「言われたことだけをやる」「それ以外やらなくていい」という標準化された仕事のほうが気が楽、という人もいる。

 

ただ、数としては訪問よりも施設のほうがずっと多いから、「ほんとは自由にやりたいけれど、怒られるから周りに合わせてる」という人も少なくないんじゃないかと思います。だいたい、訪問介護を体験したことがない介護スタッフのほうがずっと多いわけですもんね。

 

私も、デイサービスの施設に勤めていたときに仲良くなった人方から、「中川さん、1対1のほうが向いているんじゃないですか」と、いまの勤め先を紹介してもらったんです。その人は介護士で整体師で音楽家という三足の草鞋を履いた変わった人で(笑)、私の性質を見抜かれていたんでしょうね。

 

いまの勤め先は、そもそもマニュアルがなかったり、「やり方はあなたにお任せします」という感じなんですが、それはけっこう衝撃的でした。でも、だからといっていい加減という印象はなく、「働いている人を信用している」感じが伝わってきて、好印象でした。

 

やっぱり私は、決まったことを延々と繰り返すことにはなかなか耐えられなくて、「こうしたほうがいいんじゃないか」という工夫を重ねたいという欲求がありましたから、何か小さなことでも工夫して、いい反応が返ってくるとすごくやりがいがあるという訪問介護があっていたんでしょうね。

 

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最初は腰かけでもいい

 

岡田 そもそも、どうして芸能人のマネージャーという仕事から、介護の現場に来ることになったんですか?

 

中川 私、実家が神社で、二人姉妹の長女ということもあって、何かあると帰らなきゃいけないというのはずっとあったんですが、マネージャーとして6年くらい仕事していたときに、父が倒れたんです。まったく辞める気はなかったんですが、泣く泣く、辞めて実家に帰りました。

 

父は大手術の結果一命を取り留めたんですが、その後、療養中は母が神主の仕事をやって、私と妹が家事をやるという状態を3年弱続けることになりました。その後、父もすっかり元気になったので、また東京に戻ってきたんです。

 

東京に戻ってからは、昔バイトしていた日本料理屋さんで仲居のアルバイトをやっていたんですが、そこの経営が危なくなって給料も切り詰められてきたので、思い切って辞めて職探しをすることにしました。でもあまりの不況でいい仕事がなく、そのまま無職の状態で職探しを続けるのが精神的にきつくなってきたので、とりあえず職探しの間、「腰掛け」で働ける仕事はないかと思って「タウンワーク」で見つけたのが、デイサービスの介護職員でした。「未経験者歓迎、無資格でもとりあえず手伝いからオッケー。時給1000円」という文句に惹かれました(笑)。

 

岡田 では、「介護」をやりたいというのではなく、いわゆる腰掛け的な動機だったわけですね。

 

中川 もちろん、受けたときは「頑張ります!」と言いましたけどね(笑)。介護のイメージというと、時間、体力を奪われて、暗いイメージしか正直もっていなかったので、正直、長くやる仕事とは思ってませんでした

 

ただその一方で、排泄とか入浴の介助の技術を覚えておけば、今後、身内の介護でも役立つだろうし、働きながらそういうことを学べたらいいかなとは思っていました。

 

岡田 介護ってそういう意味ではある種、自衛隊的なところがありますよね。勤務したらいろいろと学べて資格もとれる、みたいな(笑)。

 

中川 私、そういう動機が多いんですよ。日本料理屋さんの仲居も、自分で着物を着れるようになるかな、という動機でした。お給料もらいながら、着付け教室以上に着物の練習できるじゃないですか。このときも、バイトというだけならほかにもあったわけですけど、どうせやるならこういう機会でもなければやらないようなことをやってみようと思ったんです。

 

意外と“変り種”がいる介護の現場

 

岡田 最初は腰掛けだったわけですが、いまはかなり介護の世界にはまっていますよね。どの辺から風向きが変わってきたのですか?

 

中川 それこそ、岡田さんの古武術介護を現場で試してみて、ああ、おもしろいなと思ったことは大きいですね。現場で試行錯誤するのはほんとにおもしろい。それと、介護のアルバイトって、意外と音楽だったり、役者だったり、表現をやろうとしている人が、とりあえず当面食べていくための仕事として選んでいるパターンがけっこう多いんです。そういう人たちって、社会から少し外れているけれど楽しそうに生きている人たちが多くて、それがちょっと芸能界のにおいに近くて、私にとっては親しみやすかったのかもしれません。

 

岡田 それも、一般的にはあんまり知られていないことですね。介護現場って、予想外の変わり種が結構います。以前うかがった現場では、女子プロレスの選手がホームヘルパーのアルバイトをしていました。収入も得られて、トレーニングにもなり、しかも試合まで見に来てくれるので、一石二鳥以上なんだそうです(笑)

 

中川 アーティスト系の人たちって、舞台やステージが決まると隙間時間にしか働けなくなったりするから、なかなか決まった普通の会社で正社員として働き続けることが難しい。そうすると、不定期にできる介護のバイトも選択肢になるんだと思います。

 

私が仲良くなった人は、デイサービスは週に1~2回で、それ以外は整体師をして、自分のライブなど、音楽活動にも力を入れていました。一方で介護福祉士も取っていたり、精神病院で音楽療法とリハビリ助手をやったりと、いろんな経験と知識をもっていました。自分で自分の人生をしっかりハンドリングして、マネジメントしている人、という印象が強かったですね。

 

介護現場の同調圧力

 

岡田 そういうふうに変り種の人が入ってくる職場である一方で、先ほども話題になりましたが、「周りと同じようにしなければいけない」という同調圧力も強いんですよね、介護現場って。

中川 私がいたデイサービスは「徹夜した」とか「何日も家に帰っていない」といったエピソードを自慢しあう、ちょっとマッチョな空気が支配的でしたね。自分も家に帰らないし、人を帰らせない。そういう観点で、人を評価しようとする。何かあるとすぐ「辞めさせるぞ」と言ってくる。こちらはいつ辞めてもいいと思っているので、余計に生意気に映って気に食わなかったのだろうなと思います(笑)。

 

例えば、記録用紙に「24時就寝」と書いて、次の人の就寝時間の欄に「以下同じ」ということでチョンチョンと書いたら、それだけで問題になってしまったりするんです。「なぜ省略するんだ」「他のページを見てみろ。誰もそんなことをしたことはない」というふうに(笑)。

 

岡田 介護現場って、すっごく小さな世界で閉じているので、その中の法律みたいな、不文律が生まれやすいんですよね。

 

中川 過剰に「安全」ということが強調されているな、とも思いました。私は勤めている間に実際に事故を起こしたことはないんですが、心配性の人から見ると、私の仕事は危なっかしくうつるらしい。もしかすると、総合的に見たら私のやり方には危険性もあったのかもしれないけれど、一方でそこにあったのは「余計なことは絶対にやらない」「実質が伴っていなくても、形だけでもやっておく」という事なかれ主義の側面が絶対あったと思っています。

 

岡田 うーん、それは少なくとも、利用者さんのほうをみた介護のあり方ではないですよね。「クレーム対応」ということが、常に問題の上位を占めている。

 

中川 今の職場は、危険な要素やうまくいかないことをあらかじめ取り除かず、介護者と利用者の間での軋轢や問題があってはじめて自立できる、という考え方がベースにあるんですよね。それが私には合っているんだと思います。

 

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介護一本ではやっていけない待遇

 

中川 自分でやってみて思うんですが、介護は給料的にはきついですよね。だから、男の人の寿退社もあるんです。結婚が決まると、介護じゃ食っていけないということで辞める。それはすごくリアルですよね。ある程度、実家があるとか、生活の基盤がある人でないと、一人暮しだったりすると、心も身体も折れてしまうでしょう。

 

岡田 雑誌『精神看護』で給与明細の特集があってすごく反響があったそうなんですが、僕はその特集をみて、ちょっと別の驚きがあったんです。というのは、その特集に登場する7年目の看護師さんが「きつい」「安い」とぼやいている給料が、介護福祉士を10年やって、ケアマネジャーの資格をもって勤めていた自分の倍だったんです。

 

ですから、介護系の雑誌の編集者の方に、介護でも「僕の給料明細を公開します」っていう特集をやりましょうといったら、そんなことをやったらうちの雑誌が潰れますといわれてしまった(笑)。

 

実際、収入はどうですか。今から10年ほど前になりますが、自分の場合、勤務10年目の給料が手取り17〜18万円ほど。 夜勤、宿直、早番遅番の手当と 交通費3万円を含んでその額でした。

 

ボーナスを合わせた総年収が約330万円。それは税金込みの収入ですから、実際の手取りはさらに少ないです。しかし、それでも地方の介護職員の給料としては結構良い方でした。世間を知るようになって、初めて、介護職員の給料の少なさを実感しました。

 

中川 デイサービスの時はそんな感じでしたね。バイトで週5日、6日働いて手取りで18万円ぐらい。いまは週4ぐらいですが、給料はデイサービスのときよりずっといいです。

 

ただ、現実問題としては、介護という仕事は専業というよりは、副業としてやっている人が互いに上手に助け合って続けていく仕事ではないかと思います。私の場合、特に副収入はなかったけれど、他に居場所があって、仲間がいて、そこで支えられているという感覚があるから続けられています。専業で、一般のサラリーマンのように仕事に行って家に帰って寝るだけの生活だと、どう考えても息詰まってしまうでしょう。

 

岡田 でも常勤の場合、ほんとに家と職場の往復だけになってしまうんですよ。だから、新卒で介護の世界に入った人は他の世界を知らないので、そこだけの価値観だけで動いてしまう。介護現場って、よく言えば家族のように仲良くなれるけれど、悪くすると佃煮のように人間関係が濃密になりすぎてしまう職場なんですね。私が行ったとある施設では、施設長のことを「おとうさん」、施設長の奥さんを「おかあさん」と呼ばせていたところもありました。良くも悪くも、家族的な業界であることを象徴しているなと感じました。

 

中川 給料も安いから、そうやって家族的な一体感みたいなところを出さないと運営できないというところがあるんでしょうね。ちょうど私がデイサービスを辞める頃に入ってこられた女性は、ご家族を早くに亡くされていたので、職場に家族関係のようなものを求めている部分が強くありました。そういう人は、本当に生き生きと働かれますよね。

 

岡田 確かに、そういう人は多いかもしれないですね。ただ、そうじゃない人にとってはきついし、どちらかというと、そちらのケースのほうが多いでしょう。

 

高齢者介護が、障害者介護に学ぶこと

 

岡田 金銭面でも障害者介護の現場のほうが高齢者介護より恵まれているという話がありましたが、障害者と高齢者は、同じ介護業界といってもいろんなことが違いますよね。

 

中川 障害者介護は基本的に一対一なので、個々の相性が大きいんですよね。だから、普通の職場ではうまくコミュニケーション取れない人が案外はまったりする。つまり「この利用者さんにはこの人でないとだめ」ということが相性によって起こりやすいし、そうなると、働く人の自信につながります。繊細で社会になじめない人が、案外力を発揮できる職場なんじゃないかなって思うんです。

 

岡田 僕も実は、元々引きこもりだったのが知的障害者の方との交流をきっかけにして社会復帰できたんですよね。高校出てから3年ぐらいふらふらしている時期に、たまたま知的障害者の方に声をかけてもらって、その方の施設でボランティアをさせていただくようになってから「働いてみよう」という気持ちがわいてきたんです。

 

中川 私の友人でもそういう人は多いですね。ただ、人手がないから、びっくりするような人が働いているのも現実ですが(笑)。

 

岡田 一方で、高齢者介護のほうは、人手不足が続いていますね。ある訪問介護事業所の職員研修に行ったら、平均年齢が70歳近いということがありました。「あれ? 要介護者のご家族が対象の講習会だったかな」と思ったくらいです。ある程度の年齢になってから働き口を探すと、ヘルパーしか選択肢がないというんですね。

 

高齢者介護と障害者介護を比べた場合、ひとつは高齢者の場合、障害者の方のように自主的にマネジメントするというわけにはいかないという問題があると思います。

 

高齢者介護の現場から見ると、障害者の方々は、とても戦略的に国と対峙しているな、と感じるんですが、それはやはり、自分で自分をマネジメントするということが歴史的に積み上げられてきたからだと思うんですね。

 

それに対して高齢者の場合、本人が当事者として力を持ちにくいのはもちろんのこと、その家族も高齢者が多いので、結果として、ケアマネジャーなどが主導権を持つことが多いように思えます。障害者介護と比べると自分自身がマネジメントを行うということは極めて難しいというのが実情だと思います。

 

中川 お子さんの世代はたいてい働き盛りだから、結局専門家に丸投げということも多いですよね。深入りしないというか。本当に親身になれば、制度の問題というところにも思い当たるとは思うのですが。

 

岡田 ケアマネジャーを信頼するな、というわけではないのですが、自分もケアマネジャーとして働いた経験から思うことは、いまの制度設計では、一人のケアマネジャーが膨大な件数をマネジメントしなければならないので、やはり本人・家族の意思をくんできめ細かくマネジメントするというのは難しいのが現状です。

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介護を開く

 

中川 高齢者介護について、私がデイサービスの経験などから思うことは、「介護」を目的としない何かと抱き合わせにしていくことが大切じゃないか、ということです。例えば、スーパーとか幼稚園といった、何かまったく別のお店とデイサービスが同じ場所になっているような空間作りが必要だと思うんです。

 

というのは、高齢者介護って、どうしても単独では行き詰まり感がぬぐえない場所になってしまうからです。

 

岡田 確かに、障害者の方はこれからの人生を見据えて介護ができるから、介護者にも「貢献感」みたいなものがあるんですよね。それに対して、高齢者介護ではそれを感じにくい側面はあると思います。

 

中川 正直なところ、高齢者ご本人にとって、いまの介護施設で行われている介護は、それほど質の悪いものじゃないと思うんです。それよりも、職員の精神的な部分へのケアが全然足りていないと思います。もちろん、金銭的な部分も大事なんですが、それ以上に、「職員が将来への見通しをもって働けるような場所にしていく」という意味でのマネジメントが、まだまだ足りていないんじゃないかと。

 

老人に注目しすぎで、介護する方に注目しなさすぎなんです。「老人のために」とみんなが献身的に身を捧げちゃっている。そこの比率がもっと働く人のほうにいかないと総倒れしてしまうと思います。

 

そういう意味で私が大事だと思うのは、介護現場が、介護とまったく関係のない人が出入りする開かれた場になっていくことなんです。託児所とか、町内の集会所とか、そういうものと併設されていれば、子どもを迎えに来た人やおじさんがちょっと手伝って行ったり、地域の情報交換が行われたりということが自然に起きますよね。

 

デイサービスは家族の人が迎えにくるか、業者の人や営業の人が来るぐらいで、関係のない人が出入りする開かれた環境になっていないんですよ。だから、どうしても閉塞感で満たされてしまいがちです。

 

岡田 高齢者だけでなく身体障害者、子供達も含め一緒に地域ぐるみで支えていくという取り組みのひとつが、「富山型デイサービス」と言われるものだと思います。

 

僕がお邪魔させていただいたところでは、東京都にある高齢者総合福祉施設の吉祥寺ホームは、ボランティアの出入り自由。しかも住宅地のど真ん中にあるので、人的な風通しがとてもよく感じました。また大阪府十三のミード社会舘はキリスト系の福祉法人で、同じ敷地内に高齢者のデイサービス、施設、介護専門学校、保育園があり、お弁当の配食サービスは近所の人たちが1972年からボランティアでずっとやっているとのことでした。子供、高齢者、学生、職員、ボランティアなど多種多様な人々が出入りしていて、まるで商店街の延長のような感じのところでした。

 

中川 そういうのがいいですよね。でも逆に言うと、ものすごくお金をかけた老人ホームとかあるけど、私は絶対そういうところで働きたくないと思うんです。いい立地で、いい環境で、すごくお金をかけて作っている場所だけど、老人と介護職しか入れない。どれだけ建物が綺麗になって、環境を整えても自由がない。ぼろ屋でも人が出入りしているほうが、働く環境としては絶対いいんですよね。

 

そこで生活する高齢者にとっても、そのほうがいいと思うんです。不純物をなくしていくのって、なんだか高齢者をきれいな箱に入れて、社会から見えないようにしているように感じます。

 

岡田 確かに、超高級老人ホームになればなるほど、完全に閉じられていてある種不自然な印象もありました。入居者の方も弁護士、税理士、会社役員といった感じで、ある意味で、多様性がない均質的な世界になってしまっているケースもあります。あんまりこの話題には深入りできませんが(笑)、間違いなく言えることは、社会はいろいろな人がいるから、バランスが取れているということですよね。空間が閉じて均質的な人だけ集まってしまうと、どうしても閉塞感がぬぐえない。

 

脱・おむつチェンジャー

 

中川 例えば研究者だったら、異分子のいない、均質なコミュニティで研究に没頭したいと思うかもしれませんよね。でも、介護の仕事がしたい人って、別に引きこもりたいわけじゃないじゃないですか。

 

岡田 うーん。ただ、これは卵が先か鶏が先かはわかりませんが、あの閉鎖的な空間が好きという人もいるんですよね。でも少なくとも、今より風通しをよくすることは考えないとダメですよね。

 

中川さんがおっしゃるように場を開く、ということは僕も大切なポイントだと思っているんですが、もう一歩踏み込むと、「介護職以外の人が介護にかかわる場」をいかに作るか、ということこそ、介護職が、専門職として取り組むべ課題ではないかと考えています。

 

別の言い方をすれば、もしも介護職が、本当の意味で「プロとしての給料」をもらおうとするなら、そういう「場のコーディネート」を含めた仕事をやっていくしかないと思うんです。

 

現場にいたころ、僕らはよく自虐的に「俺たちどうせ、オムツチェンジャーだからな」とぼやいていました。結局、介護職っていったって排泄介助をする人なんだ、と。でも、それは実は、「介護」という仕事の一部分に過ぎないと今では思います。「介護」というのは介護現場全体をコーディネートする仕事であるはずだし、介護職は、コーディネーター、マネージャーになる必要がある。

 

中川 そうですね。広告代理店が商品PRのために企業をコラボレーションさせていろんな企画をやるのと同じように、介護の人間がイベントを企画したり、あるいは地域の農業や地場産業などと連携させた介護を考える、ということが必要なのかもしれません。

 

岡田 介護の仕事の問題はいろんな側面があるから、ばっさりと「こうだ!」というと乱暴になってしまうんですが、僕が少なくとも変えていかなきゃいけないと思っているのは、いま一般に行われている「介護」という仕事が、定年まで40年間働いても、ずっと仕事内容が同じで変わらない、という現実なんです。

 

でも、僕は介護って実は、外部とかかわりを持つことができるポテンシャルをもった職種じゃないかと思うんですね。外部の人にかかわり、影響を与え、介護現場に外部の人を巻き込んでいくような力を持ちうるんじゃないかと。

 

これは別に、夢みたいな話をしているわけじゃないんです。例えば、施設に実習生が来ると、ちょっと職場がいきいきします。どうしてかというと、実習生やボランティアが来て一緒について来られると、「外部の目線」が感じられるので、自分の仕事が丁寧になるからです。

 

見られている、と思うだけで、自分自身の仕事が変わる。そういうことが日常になってくるだけでも、ずいぶん介護の質はあがるのではないかと思います。個別制も高まるし、人に教えるという立場になれるので、主体性が出てくる。そうすれば、“オムツチェンジャー”ではなくなるんです。

 

もちろん、閉鎖的な職場が好きな人はそういう変化を嫌うので実習生をいじめてしまったりするわけですが、そういう変化を肯定的に捉えていくような職場文化を作っていく。まずはそこからじゃないでしょうか。

 

脱・標準化への道

 

岡田 一通りの介護ができるようになったら、地域のいろんな人に介護現場に参加してもらい、それをコーディネートしていく立場に介護職、特に介護福祉士のような資格をもった方はシフトしていくべきだと思うんですね。

 

例えば教職の方や地元企業の方などに、1週間でもいいから研修に来てもらう。いろいろな人を外から来てもらうような体制をつくって、それをうまくマネジメントしていく。それを現場レベルでやるのが介護福祉士の仕事ではないかと思うのです。

 

中川 フリーマーケットとか、音楽イベントでもいいんですけど、もっと言えば集客が必要ない環境で、自然な形で開かれているのが理想だと思うんです。例えば駅にデイサービスがあるとか、日常的に、高齢者や、介護スタッフと地域住民が出会わざるを得ないというのが一番かと思うんです。

 

岡田 山口県で、ショッピングセンター内にデイサービスを設置しているところがありました。そこでリハビリをやると、ショッピングセンターのポイントがつくんです。ただ、そういう仕組みを考えているのは今のところ、介護職じゃないと思うんですね。そういう仕事こそ、ぜひ「介護」という仕事の中心に据えていくべきだと思うんです。

 

さらにもう少し射程を広げるなら、制度面の改革にもつながるようなアイデアも、介護専門職は出していくべきなんですね。例えば介護ボランティアに参加することによって、その人たちの介護保険料負担が減る減免措置を作るといったような、新しい取り組み、アイデアのイニシアティヴを介護職がとっていかないかぎり、介護職のステータスは絶対に上がっていきません。単に保険料のアップを訴えていてもダメだと思うんです。

 

そのことは、医師や看護師、PT、OTといった他職種と介護職を比べてみればわかることだと思うんです。あえて介護福祉士の立場から自戒を込めて厳しいことを言うと、医療と比べ、介護には専門性といえる専門性がないんですよね。でも、専門性がないからこそ「何でもできる」という可能性があると僕は考えています。

 

中川 芸能界でもそうですが、マネージャーには「これだけは」という特技はいらないんです。なんでも広く、浅くできるというのが大事。あるいは電話帳みたいに「そのことならあの人が知っている」という、インデックス人間が向いているんですね。介護に求められる能力も、共通していると思います。

 

岡田 ひとりひとりが現場監督になっていくと、行き詰まり感のある介護現場も、また違う見え方をするように思います。現状、特に施設介護では、そういうことを考えないで「オムツチェンジャー」に徹しているほうが、労働者として身を守ることにつながる、という考えも根強いかもしれません。しかし、10年、20年というスパンでみると、自らの立ち位置をどんどんまずい方向に追い込んでいる面がある。

 

介護現場を外部につないでいく、いわば「触媒」となれるような、マネジメント能力を高めていくのが、介護職のステイタスを向上させる道だと思っています。

 

今日は、中川さんのおかげでいつになく、真剣に「介護職の将来」を考えることができたように思います。ありがとうございました。
 

(おわり)

 

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